さらに数時間のフライトの後、送りつけられた航空券の最終目的地にようやく辿りついた。
タラップを降りると、南国の焼けつくような陽射しに一瞬目が眩んで頭の上に手をかざした。
秋の足音が聞こえ始めたパリの気温に慣れていた体は、まとわりつくような湿度と、常夏のむせかえるような空気をすぐには受け入れられずにいた。海岸線にある空港の滑走路を、強い潮風が海のにおいを運んで吹きすぎていくが、それすらも熱気をはらんでいる。
到着ロビーに足を踏み入れると、島の夕陽が描かれたパレオを身に着けた女性が、歓迎の印に白い花を一輪手渡してくれた。先ほど機内で名前を尋ねたのと同じ花だった。

教えてもらった白い花の名は、ティアレ・タヒチといった。


フランス領ポリネシア、タヒチ島。空の玄関口であるファアア国際空港。
18世紀に最初のイギリス人が訪れ、1880年にフランスの植民地となった。今は海外領土となっている、南太平洋に広がる118の島々からなる自治領。
そこに今、おれは立っている。

出迎えの一群の中に、長身の金髪と青い瞳を探すが、見当たらない。
到着予定時刻を少しばかり回っての着陸だった。迎えに来ているなら、もうとっくに来ていてもいいはずだ。彼女がくれた道しるべは、ここで途切れているというのに。
ここで立ち尽くしていれば、姿を見せてくれるのだろうか?
それとも彼女につづく手がかりを、どこかに隠してでもあるのか、そこらじゅうの人間に片っ端から話しかければ、有用な情報をくれるのだろうか。
途方に暮れそうになる俺の肩を後ろから誰かが叩いた。

「ムッシュウ・グランディエ?」
かなり訛りの強いフランス語で話しかけられた。
振りかえると、初老の男がニコニコと笑っていた。白人のようだが、土地の人間だろうか。伸ばした巻毛を後ろでひとつに結んだなかなかの伊達男で、若い頃はさぞやもてただろうと思われた。
「わたし、あなたのパイロットです。ビュゾー言います。わたしセスナあります。どこにでもお連れしますよ。さあ、どちらへ?」
どうやらオスカルが用意してくれたパイロットらしい。だが、"どちらへ?"と聞きたいのはこっちの方だ。
困り果てて男の顔を呆然と見つめている間も、男はあいかわらずニコニコと愛想よく笑っている。

「ムッシュウ・グランディエ!!」
ヒールの音を響かせながら、走ってくる女がいた。
一瞬誰だかわからなかったが、よく見ると、さきほど、機内で花の名前を教えてくれたひとだった。
今は紺色の制服に着替えていたために、すぐにはわからなかったのだ。
「ああ、よかった。わたしったら、下りる前にお渡しするよう言われていたものを、すっかり忘れてしまっていて」
息を切らせながら、彼女は小さな箱を差し出した。指輪のケースのようなその箱を開けると、純白の絹布で何かが包まれていた。開けてみると見事な黒蝶真珠が一粒。
オスカルが残した手がかりだとは思うが、これだけでどう推理しろと?

「それでは」
役目を終え離れて行こうとする彼女の腕を、思わず掴んでしまった。
「あの、ちょっと協力してもらえないでしょうか?この真珠から、これからどこに向かわなければならないか、考えなければならなくて。タヒチの伝承とか歴史とかに関わることじゃないかと思うんですけど」
彼女は当然とまどって、黒い瞳が不安に揺れた。だが、おれがあまりに必死だったためか、頬を赤らめてうつむくと、蚊のなくような弱々しい声で
「わ、わたしでお役に立つのなら……」
と言ってくれた。ありがたい。タヒチの人々は親切で純朴だと聞いていたが、その通りだなと思った。

黒蝶真珠はタヒチの特産品で、いろいろな島で養殖も行われている。養殖場のある島のどこかではないかと彼女は言ったが、それでは決め手に欠ける。
強い銀白色に輝く真珠を、ためつすがめつ眺めても、一向に答えは出てこない。
他に手がかりはないかと、箱の中を調べようと絹布を持ち上げた時、彼女が「あら?」と何かに気がついた。
「ここに縫い取りが」
彼女が指差したところを見ると、赤い糸で"1"という数字が刺繍されていた。それを見て彼女が何かを思いついたようだった。
「ボラボラ島じゃないかしら?あの島は"太平洋の真珠"と呼ばれているし、神様が最初に創った島という言い伝えがあって、タヒチ語で"ボラボラ"は"最初に生まれた島"という意味ですのよ」
「それだ!ムッシュウ、きっとそれだよ」
おれが彼女の思いつきに同意しようとするよりも早く、ビュゾーが大声をあげた。
「さあ、天候が変わらないうちに、さっさと行こう、ムッシュウ・グランディエ」
海の天気は変わりやすいからだろうか、背中を押して、強引に連れて行こうとする。協力してくれた彼女にお礼だけは言わないとと、慌てて手を握って礼を言った。
「ありがとう、マドモアゼル」
彼女は真っ赤になって目を潤ませ、恥ずかしそうに再びうつむくと、
「マドレーヌと申します。ムッシュウ・グランディエ」
「ありがとう、本当に助かったよ、マドレーヌ」
せきたてる男に背中を押されながら後ろを振り返ると、マドレーヌはいつまでもいつまでも手を振りつづけてくれていた。
本当にタヒチの人は親切であたたかいと思う。

ゲートを通り過ぎて、ゆらゆらとかげろうが立ち昇るコンクリートの上を横切った。空港外れの小型機発着用の滑走路に向かう。
ビュゾーは後ろのドアを開けて、乗りこむように促した。
座ってシートベルトを締めると、サングラスをかけたビュゾーが、操縦席から振り返り、準備はいいかと尋ねてきた。
おれがうなづくと、陽気に鼻歌を歌いながらエンジンをかけた。プロペラが回り始める。管制塔と交信しているが、時折大きな笑い声を立てている。エンジン音にかき消されて会話の内容は聞こえなかったが、ずいぶん暢気なものだと、正直、一抹の不安を禁じえなかった。この男に命を預けることになるわけだが、一流のパイロットであるオスカルが選んだのだから、大丈夫だろう。たぶん。信じるしかない。
滑走路を滑るように走って、白いセスナは青く晴れ渡った空に、鳥のように飛び立った。同時に窓から差しこむ太陽に目を射られた。ジャンボジェット機では感じないGを感じて、シートや機体の掴まれそうな部分にしがみつくようにして体を支えた。

温厚そうな外見に似合わず、男の操縦は実にワイルドで、乗っている間中、生きた心地がしなかった。




(つづく)












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