A Midsummer Night's Dream〜夢の国狂想曲B〜 



「まあ!オスカルさま、ディズニーランド・パリの、あのイベントに参加されるんですの?」
勤務先の社員専用カフェテラスに設けられた、テイクアウトのカウンター前に出来ている長い行列に並んでいたアランが振り向くと、数人の女子社員と共にテーブルを囲んでいるオスカル・フランソワが、そこにいた。後ろ姿だったが、その豪華な波打つ金髪は彼女のものに間違いなかった。悲鳴に近い声が上がったと思うと、一斉に声を揃えて「お相手は誰!?」と全員で立ち上がらんばかりに詰め寄っている。

パリの穏やかな昼下がり。
オスカルを中心にして座っている彼女達は、自称“オスカルさまファンクラブ”を名乗る女子社員達だった。広報室や秘書室のきれいどころばかりで、制服組の多い中、私服で勤務している彼女らが、これだけ顔を揃えれば、おのずと目を引く。おまけに実家がそれぞれかなり裕福だそうで、頭からつま先まで身に着けている物は全て一流の品だ。いつも鮮やかな色で華やかなデザインのスーツをまとった彼女達は、幻惑されそうな蝶の群れか、はたまた長い尾ひれをゆらめかせて水槽の中を優雅に泳ぐ熱帯魚か。部署に接点もないし、いずれにせよ、自分とは縁のない連中だとアランは常日頃から思っていた。

オスカルとアランが勤務する航空会社が業務拡張計画に伴い、パリ本社社屋から通り一本隔てた場所に建つ、このビルを買い取ったのは、1年ほど前のことだ。20世紀初頭に建てられ、老朽化が進んでいたビルの内部を思い切った形で全面改装し、最近お披露目された。エントランスに聳えるギリシャ風の柱のアーチをくぐり抜けると、3階までの吹き抜けになったホールがある。見上げれば、二階から上はガラス張りのオフィスになっていて、忙しそうに仕事に勤しんでいる姿が見える。一階のホールには受付の他に、打ち合わせや休憩で使えるテーブルと椅子がいくつか置かれていて、その奥に、この社員専用のカフェテラスがあった。
カフェの中は、さながら会員制の高級クラブのようだった。若草色の地に金の装飾模様が入った豪華な壁紙に木目込み細工の床、浮彫のある天井からは、バカラの輝くクリスタルをふんだんに使ったシャンデリアがいくつも釣り下がっている。そこに並ぶ、真っ白なクロスのかかったテーブルと優美な曲線を描く背もたれの椅子。
このカフェのコンセプトデザインは社長夫人の双子の姉が経営する会社が行い、カトラリーや食器も製造して卸しており、ヴァンドーム広場にある彼女の店、ヴィ・ド・ラ・レーヌで同じものが買える。
ここで提供されるものは、食事も菓子も飲み物も全て絶品だった。パティシエやショコラティエは世界有数のコンクールで何度も上位入賞を果たしているし、シェフやバリスタは美食家である社長が直々にスカウトして来たのだという――― 一説によると、個人的に抱え込むのはさすがに無理があるので、会社で雇うという形でキープしているということだ―――。
難はといえば、全てが一流と来ているのに、福利厚生の一環として、社員価格で非常にリーズナブルに利用できるから、いつも混んでいることくらいだろうか。
これだけ豪華な仕様とあれば、世間の話題に上らないはずはない。一般公開されていない店としては異例のことだが、オープン当時からグルメ雑誌などで取り上げられて来た。会社のSNSでも積極的に宣伝・情報発信して来たせいもある。
人は、どうやら“限定”というものに弱いらしい。当然、この企業の社員であることは羨ましがられたし、打ち合わせなどで訪れた取引先の相手をこのカフェに連れて来ると、至極感激されて、嘘か誠か商談はほぼ100%の確率で成功するという話だ。テイクアウトの菓子や飲み物は手土産にすると喜ばれると聞く。家族や友人・知人から、買って来てほしいと頼まれる社員が多く、現にアランも妹のディアンヌにせがまれて、ケーキを買うために列に並んでいるという有様だ。
社員限定のカフェテリアに金をかけすぎだとアランなどは鼻白む思いで、気取った雰囲気も気に入らなかったが、今や、ちょっとした社の顔の役割を担うようになり、企業イメージのアップにも貢献しているのだから、その投資もあながち無駄金とは言い切れないと少し見方を改めざるをえなかった。

形と色合いも美しいケーキとお茶のセットが並んだテーブルで、件の機長殿は女性陣の勢いに気圧されて、「その……知り合いの少年なのだが」と答えるのが精一杯のようだった。声音から、なぜ、彼女達がそこまで過剰反応するのか理解出来ずに戸惑っている様子が伝わって来る。
それを聞くと、身を乗り出していたキレイどころ達が、安堵して椅子に腰を下ろし直す。
「去年は確か、“シンデレラ”で、今年は“夏の夜の夢”がテーマでしたわね」
オスカルの右隣りに座っている、秘書室所属のショートカットの黒髪がそう言うと、オスカルの正面に陣取る、広報室の菫色の瞳をした娘が「違うわ、マリー・ルイーズ。去年は“眠れる森の美女”よ」と訂正した。
「あなた、去年参加したのだものね、詳しいわよね」
少しからかうような口調で同じ広報室務めの栗色の髪の娘がそう言うと、菫色の瞳がぷいっと横を向いた。
「大きなお世話だわ、フローラ。あれで頭の程度が分かって、さっさと別れられてよかったのよ。運命の相手じゃなかった証拠だもの。せいせいしたわ」
どうやらそのイベントに参加したことがきっかけで、菫色の瞳は彼氏と破局したらしい。
「ゴールまで辿り着くのが3割くらいなのだから、仕方ないわよ」
猫毛の黒髪で、ジョゼフィーヌと呼ばれている大人しそうな印象の女が険悪になりかけた空気を何とか収めようとする。
「皆、詳しいのだな」
そう言われた彼女たちは、オスカルの関心を自分に引き付けるためか、先を争ってイベントに関するそれぞれの知識を披露し始めた。
イベントはいわゆる探検・探索ゲームで、参加者の貸切状態で行われ、GPSとスマートフォンにインストールした専用アプリが使われる。当日、園内には数十か所のチェックポイントが設けられ、登録したペアで、スマートフォンに送信されてくる課題を協力して解いて、正解だと次の場所に進むことができ、次の課題が出題されてという仕組みになっている。それを何度か繰り返して、最終チェックポイントまでたどり着く速さを競うのだ。謎やチェックポイントはコンピューターがランダムに選んで組み合わせるため、それぞれのチームに違うコースと問題が配信される仕組みだ。そこまではジョゼフからもらったゲーム・ルールの説明書にも書いてあり、オスカルも知っていることだった。
「それでですね、オスカルさま!一番でゴールしたペアは……」ここが肝心肝要だと言わんばかりに、一呼吸置く。オスカルがもらった説明書には確か、賞品として特別年間パスポートが送られると書いてあったが……。
「永遠の愛で結ばれるといわれているんですのよ!」
「あ、ずるい、マリアンヌ!それ、わたしが今、言おうと思っていたところなのに!一位でゴールしたカップルは必ず結婚しているそうです!!」
そのイベントは、今年で十数回目を迎えるのだが、成功率の低い難問にペアで取り組むという形式のためか、回を重ねるうちに自然とそのようなジンクスが生まれたらしい。
友人や知人、親子で参加しても構わないのであるが、そんな噂が広まると、圧倒的に恋人同士での参加希望が増え、今ではチケットは入手困難で、ネットのオークションサイトで高額で転売までされている。
ポンデザールを一時閉鎖に追い込んだカデナダムール(愛の南京錠)の例もある。その起源もはっきりしないらしいが、このような伝説は、今も昔も自然発生的に生まれるものらしい。殊に恋愛に関するものは生まれやすくて、信じられて広まりやすいのではないか。
別々に生まれ育った男女が出会い、恋に落ちても、その気持ちがずっとつづくとは限らない。だからこそ、それが永遠となるように、何かにすがりたくなる。
ファンクラブを名乗る彼女達が、こんないわくのあるイベントにオスカルが参加するとなれば、相手はどこの誰だと色めきだったのも無理はなかった。
「そういえば、秘書室にいたマリア、先月辞めたのよ、結婚するんですって」
同じ秘書室勤務のジョゼフィーヌがそう言うと、「ブイエ部長にセクハラされたからじゃなかったの?」と広報室のフローラが確信をもってそう言った。
「彼女、くやしいけど綺麗だったものね。部長はさぞや残念がっているでしょうね」
同じく広報室の菫色の瞳が言う。
そうね、そうねと全員が女とブイエの関係を肯定して頷く。
また一つ、噂話が”真実”に変わっていく様を目の当たりにして、女の噂話は、おっかねぇとアランは背筋を凍らせつつ、大嫌いなブイエも、この時ばかりは気の毒に思えた。
ブイエといえば、一度だけ接点があった。社長夫人の姉の離婚・再婚沙汰で、社内がゴタゴタしていた時、部長にスパイにならないかと呼び出された。その時に、ものすごい美人秘書がいた。あれが彼女たちの言っているマリアだったかもしれない。あの時、全く自分はスパイとして役に立たず、以来、部長から声がかかることもなくて胸を撫で下ろしているのだが。カフェにいるオスカルの後ろ姿をじっと見つめる。
”あの時、あいつと彼女の関係を知って……”
そこまで考えると、胸の奥がわずかにチリリと痛んだ。
「次の方!」
ようやく自分の注文の番が来て、はっと我に返った。妹に持たされたメモを見ながらショーケースの中のケーキを指さしてオーダーする。最後にマカロンを注文しようとした時だった。
「アラン!」
後方から名前を呼ばれて、びくりとして振り返る。見ると、オスカルが軽く、ファンクラブのお嬢様方に挨拶して立ち上がったところだった。
別に逃げる必要はないのだが、会話を盗み聞きしていたようで何となく決まりが悪い。だが、このままケーキを受け取らずに帰るわけにもいかない。そんなことをしたら、ディアンヌにどやされる。
マカロンはおいくつお買い上げですかと店員に尋ねられて、慌てて数を告げて、品物が箱詰めされるのを待つ。
つかつかと彼女がまっすぐに近づいて来た。
「おまえをここで見かけるなんて、珍しいな」
「妹に頼まれたもんで……」
そそくさとカードで支払いを済ませると、ケーキの箱の入った袋を受け取る。
「いいんですか、あっちは」
顎で先ほどのテーブルの方を指すと、彼女は笑った。
「そろそろ退席したいところだったのだ。おまえがいてくれて、助かった」
あの女達に恨まれるのはごめんなんですけどと文句を言いつつ歩き出すと、彼女は笑顔で付いて来て肩を並べて歩く。
最近の調子はどうだと訊かれて、「まあまあです」と不愛想に答えながら、アランは思った。自分が知る限りだが、もっと前は、女性社員があんな風にお茶の席に誘ってもつれなく断っていたのに、いつの頃からだろう、彼女の雰囲気が少しだけやわらかくなったのは。
そうだ、例の胴体着陸の事故があった後くらいだから、おそらくそれは――あいつのせいか。
「……あんないわくのあるイベント、あいつと出なくていいんすか?」
「なんだ、聞いていたのか」
アランはテイクアウトの列に並んでいたら、大声で話しているから、たまたま向こうから耳に飛び込んで来たんですと言い訳する。
「ジョゼフと参加するのだが。直々に頼まれて断れなくてな――ただのゲームだよ」
”永遠の愛で結ばれる”などと云われていても、大人の男性となら問題があるかもしれないが、10歳に満たない少年と参加するのだから、全く問題なかろうと彼女は笑い飛ばした。ジョゼフが彼女に寄せる想いは知りつつも、少年期のある時期に大人の女性にほのかな恋心を抱くのは、通過儀礼の一つのようなものだと思っている。
ただ、少し――。
もし、そんなエピソードを前もって知っていたら、確かに、少しアンドレと参加してみたいと思ったかもしれないという考えがよぎって、子供じみた考えだと頭を軽く振る。
「そういうもんですかねぇ。意外に男は嫉妬深い生き物ですよ、特に惚れた女には」
「おまえ、時々老成したことを言うな」
オスカルが軽くあしらうと、”確かに自分は年下ですけどね、貴女の方がずっと無邪気で可愛いですよ――…”と、喉まで出かかって押し殺す。
“本当にこの人は――”
すぐ隣で自分に笑顔を向けている彼女に、知らないですよと、アランは心の中で呟いた。


その晩、オスカルが“優勝したペアは永遠の恋の相手”だというジンクスを笑い話として語ると、アンドレ・グランディエは、少しだけ目を見開いた後、しばらく黙り込んでしまった。



(つづく)



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