A Midsummer Night's Dream〜夢の国狂想曲A〜 |
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オスカルがジョゼフと久しぶりに会ったのは、昨日のことだった。 彼女は、パイロットに課せられている定期技能審査を受けるため、勤務する社の研修センターを訪れていた。研修センターは、社長が所有するパリ郊外の広大な私有地の一角にあり、技能審査や訓練を行うためのシミュレーターなどの機器がある施設のほか、宿泊棟も併設され、小型のスーパーマーケットに、スポーツジムやバー、それにグラウンドのある小庭園まで備わっていて、審査や訓練の期間中、ほとんど外に出ることなく集中できるように設計されていた。 定期審査を難なくパスし、帰宅しようとしていたところ、オスカルのスマートフォンに着信があった。WhatsApp のメッセージで、「今日、ぼくのところに来られないかな」とある。ジョゼフからだった。 “今、どこに?” オスカルが尋ねると、すぐに返事が返ってきた。 “別宅の方” 社長の別宅は、この私有地のほぼ真ん中にあった。緑濃い木立に囲まれた静かな場所である。研修センターからは私有地内を通る道をゆっくり走って、車で10分弱ほどだ。まだ日は高かった。空が青い。特に用事もなかったから、ちょうどメッセージが届かなくとも、社長夫人であるアントワネットやジョゼフのご機嫌伺いに別宅に寄ってみようかと考えていたところだった。生まれてからまだ数か月のマリー・テレーズの成長ぶりを確かめるのも楽しみだったし、それに、ジョゼフに関しては、ちょっと気になることもあった。 “これから行きます。10分ほどで” 彼女は駐車場に向かい、愛車のエンジンをかけ、ゆっくりと車を発進させた。風が心地よい日だったから、窓を開けて走る。私道を徐行して小庭園まで来ると、若い男性の喚声が耳に届いた。グラウンドの隅にぽつんと立っているバスケット・ゴールに向かって、スリーバイスリーで汗を流している若手社員の姿が目に入る。ここが研修センターでなく、パリの下町だったとしたら、学生にも見えるくらいの若者達だ。オスカルは目を細める。パスを受けた長い褐色の手がしなやかに天に伸びると、指先からボールが放たれ、白い雲と重なってから弧を描いてリングに当たった。車は低速ではあるが、そのまま通り過ぎたため、リングの縁をクルクルと危なげに回ったボールの行方を、最後まで追うことはかなわなかった。 別宅前の車寄せに停車するのとほぼ同時に、屋敷の正面扉が開き、お仕着せのエプロンドレスを着た若い女性が出て来た。目を引く、鋭さのあるスラブ美人だった。丈が長めの紺色のドレスに、白いエプロンとホワイトブリムという伝統的で地味な制服に身を包んでいても、スタイルのよさが察せられる。仕事がしやすいようきちんと結い上げられている髪は見事なプラチナブランドで、眼鏡の奥の瞳は氷河の青を思わせる。一度見たら忘れられない美人だ。どこかで見かけたことがあるような気もする。確か、この屋敷ではないどこかで。 恭しく頭を下げる女に、オスカルが尋ねる。 「どこかで、会ったことがあった……かな?」 「いえ、記憶にございません。どこにでもある顔ですから、そんな風に思われたのでは」 確かに美しい顔というものは、整っていればいるほど似通ってしまうものだが、これほどの美人は、そうそうどこにでもいる、というものでもない。 「それより、先ほどからジョゼフさまがお待ちかねでございます。こちらへ」 彼女は愛想笑いもせずに無表情のまま、低いトーンでそう告げると、オスカルの先に立って歩き始めた。いつものジョゼフの私室ではなく、4階まで階段を上る。階段を上りきると、新築の家のような臭いがし、塗られたばかりの白い廊下の壁が目に入った。オスカルが知っているのとは、ガラリと雰囲気が変わってしまっていて、戸惑う。真新しい木製のドアの前まで来ると、メイドがノックするよりも先に内側からドアが開き、中から黒っぽいスーツを着た身なりのよい中年男性が出て来て、ちらりと女性二人を一瞥してから、今二人が上って来た階段を下りて行った。 「ああ、オスカル!ちょうど来客も帰ったところでタイミングがよかったよ」 部屋の中からよく知っている少年の明るい声が聞こえた。 「これは……!」 中に入ると、室内がオフィス風にリノベーションされて驚く。以前は、レトロ・モダンなインテリアが置かれ、調度のバランスが程よい上品なゲストルームだったはずだ。ライトラベンダー色の地に細かな模様の入った壁紙ははがされ、無機質な白い壁に、ダマスク織のカーテンはブラインドに取って変わられている。 「ぼくのオフィス兼、勉強部屋だよ」 自慢げにそういった少年は、大きなデスクの向こうにある革張りのエグゼクティブチェアに腰かけていた。大人がするように、どっしりと腰かけようとしているが、まだ10歳に満たない子供が真似ると、精一杯背伸びをしているようにしか見えず、かえって可愛らしく映る。 聞けば、最近になってコンサルタント業の真似事を始めたそうで、先ほどの男性は顧客の使いの者だったらしい。集客は主にネットでしている。しかし、興味を持った顧客が実際に会いに来ても、相手が年端もいかない子供だと分かると、そのまま回れ右をする者がほとんどだそうだ。だが、中にはなりふりかまってはいられない事情があって、ジョゼフの才覚を認め、コンサルティング契約を結ぶ者もあった。そのうち何件かは問題解決に至り、まだわずかではあるが、収入も得た。 この部屋は、そんなことを始めるにあたって、社長にせがんで、オフィスとして改装してもらったそうだ。 大したものだと、オスカルは感心し素直に誉める。誉められたジョゼフは、誇らしげに背を伸ばす。 「ソーニャ、君はもう下がっていいよ。お茶をお願いできる?」 ソーニャと愛称で呼ばれた女は、かしこまりましたと深々と頭を下げると、部屋を静かに出て行った。 「見かけない顔ですが」 「ぼく付きのルームメイドで、とても有能なんだよ」 それからしばらくは、今日は何をしていただの、他愛もない近況報告を交わしていた。少年はいつになくよく喋る。 「このところ、ゲームのSNSサイトでよく対戦しているんだ」 ジョゼフはデスク上にあったノートPCのブラウザを開き、サイトをオスカルに見せる。 チェスや、将棋、囲碁に、ポーカーなどの数種のカードゲームの他、シューティングやパズルゲームで対戦できるようになっている。 「ぼくは主にチェスをやるんだ。リアルで対戦しても、もう誰もぼくに勝てなくて。でも、ネットはいいよね。大人も子供も関係なく、世界中のいろんな人と戦える。スパイディーにカジモド、ポアロはなかなかだけど、何と言ってもファントムだな。あの子は強い」 「スパイディーにカジモド……とは?」 「ハンドルネームだよ」 ジョゼフは、スクリーン上の自分のハンドルネームを指さした。”プチ・プランス”という名前が、ランキング・ページのチェス部門で堂々一位に輝いていた。二位以下には、ファントムはじめ、先ほど挙げた名前が並ぶ。 「素晴らしいですね」 そう褒めたものの、オスカルは手放しには喜べず、顔をわずかに曇らせた。 ビジネスを立ち上げることも、SNSで仲間を作って遊ぶことも、決して悪いことではないが、どうやら家に籠りがちになっていることが窺える。少年は以前から透き通るような白い肌をしていたが、それが一層青白く見えるのは気のせいだろうか。彼女は単刀直入に尋ねてみることにした。 「学校をお辞めになってから、しばらくたちますが、いかがですか」 ジョゼフは、ああそのことを心配しているのと小さく笑った。 「つまらない授業をがまんしなくていいし、自分の興味のあるところは深く勉強できるから、今の方がずっといいよ」 確かにマンツーマンで家庭教師に教えてもらえる環境ならば、彼の能力を最大限に伸ばすことが可能だろう。しかし、人間は頭脳だけで生きているわけではない。ジョゼフはこのままでいいと言っているが、両親は新しい学校を探し中だ。オスカルも、今から大人の上っ面だけ真似てみたり、直に触れ合う友人がいないことは、少年の成長にとって決してよい環境ではないと思う。 ただし、ジョゼフの言い分も分からないではない。彼にとって学校は楽しく過ごせる場所ではなかったからだ。学校で教えるレベルなどとっくに習得してしまっていて、つまらないから授業態度が悪くなる。当然、教師は快く思わない。そのくせテストはいつも満点だから、学校側にとっては扱いにくい生徒には違いなかった。周囲の子供たちが彼には幼く見えたし、周りの子供たちの方もそれを敏感に感じ取って馬鹿にされていると思っていたかもしれない。加えて、上流階級の子弟同士の牽制や確執もあったのだろうことは、オスカルには察しが付く。 彼女に何か苦言を呈されそうな気配を感じたのか、すかさずジョゼフが話題を切り替えた。 「ねえ、オスカルは、マルヌ・ラ・ヴァレにあるディズニーランドには行ったことがある?」 「は、ディズニーランド・パリ……でございますか」 唐突な質問に、彼女は目をしばたかせた。あまり興味がないので行ったことはないが、存在は知っているし、ときどき社の若手の女性社員たちが話しているのを耳にしたことがある。それに、つい最近、別口からもその場所の名前を聞いた。姪っ子からだ。 「そこでね、6月23日の夜、一夜限りの特別なイベントがあるんだ。そのペア・チケットが当たったから、オスカルと二人で参加したいんだ!」 二人一組で参加し、園内全体を使ったゲームを行うイベントということだった。 ジョゼフは期待に満ちた目でオスカルの顔を見上げて、それから、「二人っきりでね」と強調する。 ジョゼフのそのおねだりを聞いて、オスカルは困惑して思わず顔をしかめた。二重の意味で困ったことになったぞと思う。 まず、二人っきりでというのは、常時ついている警護の目から解放されて、自由気ままに楽しみたいという意味だろうと察した。生れた時から常に警護という名のもとに監視され、慣れっことはいえ、時には息苦しくなることもあるのだろう。 父親が軍の重職にあった少女の時に、自分自身も経験していたから、それが分かる。それが嫌で嫌でたまらなくなって、ある日の南仏で、警護の者をうまく巻いて街を一人歩き回ったことがあった。口の中に、軽やかなオレンジの香りと微かな炭酸の刺激が思い出された。そのときに飲んだ、淡い炭酸のオレンジの味。 それは強く記憶に残る味だった。おそらくは自分にとって自由の味。 すっかり大人になってからも、再び同じものを口にすると、懐かしく思い出される。あの日に経験したことを。どこにでも出回っている安価な炭酸飲料は、その自由の日がなかったら、自分にとって全く意味のないものだったろう。あの味はあの時限りのもの。だが今も、記憶の反芻と共に、舌の上に蘇る。 できれば、自分にとっての炭酸水の味を、愛すべきこの少年にも味わわせてあげたい。 だが、警護なしに行動して、彼の身に万が一のことがあってはという危惧も強かった。もし、ジョゼフに何かあったら、それは自分の慢心と浅慮から来る暴挙にすぎなくなる。自分一人だけの力では……。 「どうしたの?確かフライトの予定はないはずだけど。それとも、もう先約が入ってるの?」 先約――。 まさにそのものずばりで、オスカルはどう答えたものかと思案する。それが2つめの困惑した理由だった。数日前に、偶然にも一緒に行ってくれないかと頼まれ、先にそちらと約束を交わしてしまっていたのだ。 オスカルには5人の姉がいるが、その一人は現在、リヨンに住んでいて、娘がいる。名前をル・ルーという。奇しくもこのイベントの抽選に当たり、パリには知り合いがいないから、オスカルと一緒に行きたいと連絡して来た。ジョゼフが言ったように、ちょうど、イベントのある日にはフライトも入っていなかったので、かわいい姪の頼みを二つ返事で引き受けてしまっていた。 「実は、偶然なのですが、そうなのです。誰か、他の相手と行くわけには参りませんか……?」 「だめ!」 いつになく感情的になってジョゼフが大声を出す。 「オスカルじゃなくちゃ嫌なんだ!!他の誰かとなんて一緒に行きたくないよ……!それに、オスカルとでなくちゃ、お父さまもお母さまも警護を付けさせてずっと監視させるに決まっている」 確かに、彼女ほどジョゼフの両親の信頼が厚く、かつ有事の際にはある程度、ジョゼフの身を守れるだけの術を持っている人物はすぐに思い当たらなかった。 「わかりました、もし、わたくしと一緒でご両親から許可が下りますならば」 その返事を聞いたジョゼフは満面の笑みを浮かべる。少しいたずらな感じもしたが、なぜだろう、彼の笑顔を見ると、自分のしてあげられることならば、何でもしてあげたいと思ってしまう。ジョゼフには悲しい顔をしてほしくない、いつでも笑っていてほしいと彼女は思いつつ、その部屋を辞した。 まだ1歳にならない赤ん坊を抱きあげると、かすかにミルクの甘い匂いがした。手足もピンク色のほほもふっくらと丸みを帯びて、何ともいえず愛らしい。笑うと生えかけの二本の白い前歯が見えた。 「マリー・テレーズはあなたが大好きなようね」 人見知りの始まったマリー・テレーズだったが、時折しか顔を見せないにも関わらず、オスカルに抱かれても泣いたりせず、機嫌よくしている。 ジョゼフのもとを辞したオスカルは、つづいてジョゼフの母であるアントワネットの私室を訪れていた。 「ジョゼフもあなたには、すっかり懐いていて。それにしても、困りましたね」 ジョゼフの提案をオスカルから聞いたアントワネットは、一つため息をついた。憂いが眉に浮かぶ。 「でも、たまには外に出ることも必要ね。このままだと……。わかりました、いいでしょう」 社長には自分から話を通しておくからと約束する。社長が夫人のお願いには弱いことはオスカルも承知していたから、そちらの方は任せておいて大丈夫だろうと思う。 「オスカル、よろしく頼みますね」 「はい、全力をもって…いたたっ」 言い終わらないうちに、抱っこしていたマリー・テレーズがオスカルの髪を力いっぱい引っ張った。アーともオーとも取れる喃語で、オスカルの名前でも呼んでいるつもりなのだろうか、可愛らしい声を出す。オスカルが苦笑すると、その顔を見てキャッキャと手を叩いて笑った。アントワネットも小さな娘をたしなめながらも、幸せそうに微笑んだ。無垢な赤子の明るい笑い声と、母としての輝きに満ちた笑顔に幸せな気分にさせられる。 オスカルは社長一家の幸せのため、何とか一役買いたいと思わずにはいられなかった。 「そういうわけか」 事情を聞いたアンドレは、前かがみになってテーブルの上で組んでいた手を解くと、椅子の背もたれに体重を預けた。オスカルがグラスの中をストローでまた掻き回し一口吸った。氷が溶けて、ミント・ティーはほとんど味を感じられなくなっている。 「そこでおまえに頼みがある。ジョゼフの方はどうしても私と、と言っているから、おまえがル・ルーと組んでやってくれないかと」 「おれは構わないけれど、おれでいいのかな」 上背のあるアンドレが体重をかけた木製の椅子はかすかに軋み、音を立てた。 「全く知らない仲でもないからな。おまえとでもよいかと、ル・ルーに訊いたらOKだそうだ。人懐っこい子だし、大丈夫だろう」 そう言われて、アンドレは女の子の姿を思い出す。 縮れた赤毛と、何か企んででもいそうな、くりくりとしたどんぐりまなこが特徴的で、彼女そっくりな人形を抱えていた少女。 「あなたがアンドレね」 彼のことは母親からでも聞いていたのか、初対面の自分にも物おじせずに話しかけて来た。 少女に会ったのは、アンドレの祖母であるマロン・グラッセがパリに訪ねて来た時だった。アンドレの部屋に数日泊まった祖母は、オスカルに会い、ジャルジェ家に挨拶に行き、そこでパリ近郊に住むオスカルの姉達にも再会してから帰って行った。 「おまえったら、なかなか帰って来やしないんだから」と言うが、祖母が会いたかったのは孫よりもオスカルとその家族であるのは明らかで、グラースに戻る途中、リヨンに住むオスカルの姉のところにも寄って行きたいと言うので、アンドレがリヨンまで付き添って送り届けたのだった。 すぐにパリに戻ろうとするアンドレを、オスカルの姉であるオルタンスが引き止め、3人で軽食を取りながら話していたところ、学校から帰って来た少女がぴょこりと顔を出した。にんまりと笑う。マロンとアンドレに挨拶し、母親から、おやつを頂いてから宿題をしてしまいなさいと言われ、「はーい」と間延びした返事を返してから、またにんまりと笑ってアンドレをじっと見る。それから「オスカルおねえちゃまに、よろしくね」と言い残して出て行った。 オルタンスにマロン・グラッセの孫であることは告げていたが、それまでオスカルの名前は出していなかったので、ドキリとした。オスカルとの関係がどこまでなのかは、まだ彼女の家族には詳しく伝わっていないはずだ。 「ごめんなさいね。ちょっと大人をくったところのある子で」 オルタンスは謝りながら、メイドの持って来た食後のデザートとコーヒーを勧める。 何か想像を越えた特別な能力でも備わっているのだろうか。少し変わった雰囲気を持つ子だと、アンドレはその印象を強く覚えていた。 「そうだな、オスカル。あの子なら、大丈夫だろう」 「それに――」 オスカルは一度目を伏せてから、少し上目使いでアンドレを見ると言った。 「それに、おまえがいてくれると、わたしが心強い」 それを聞いたアンドレは、そっとテーブルの上の彼女の手に自分の手を重ねる。 「イベントは夕方からで、それまでは一緒に行動できるから、二人は友達になれるかもしれないと思わないか、アンドレ。ジョゼフは最近、引きこもりがちのようだから」 その件についてはアンドレも聞いていて、自分の出る幕はないと思いつつも、心配はしていた。以前、彼のアパルトマンに住む子供たちとサッカーに興じていた、ジョゼフの姿が思い出される。屈託のない少年たちと遊んでいる間、いつもは生意気で大人びて見える少年が、年相応に見えていた。 「うん、そうだな。同じ年頃の友達は、仲間はいた方がいいな」 オスカルは頷く。それから、何か言いかけてやめた。 「ん、何だ?」 「ジョゼフに頼まれて、どうしようか迷っていた時、真っ先に浮かんだのがおまえの顔だったんだ」 本音を打ち明けてしまうのが照れくさかったのか、彼女は拗ねた顔をしてみせた。 アンドレは彼女の手を優しく、しかし力強く握った。意地を張るところも愛おしい。それに、オスカルが、困った時に、一番に自分を思い浮かべてくれることが。 ――これほどまでに幸福を感じ、これほどまで誇りに思うことが、この地上に他にあるだろうか。 少し前に戯れに詠んでみた詩のつづきがふと思い浮かんで、苦笑する。 「笑うな」 自分のことを笑われたと勘違いしたオスカルが唇を尖らせる。 慌てて否定して、アンドレは手に力を込めた。 「おれは、おまえがしたいことをしたいように出来るよう、そばにいるのだから」 オスカルは、彼の手を取って指を絡め、握り返す。 「……うん」 静かにアンドレの顔がオスカルに近づいて、目を閉じた彼女も彼の方に体を寄せた。 一陣の風が吹いて、中庭の木々が葉擦れの音を立てる。口づけを交わしたあとの二人が窓の外に目を向けると、6月の太陽が明るく微笑んで、外へと誘う魔法をかけていた。 (つづく) |
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