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ジャルジェ夫人のサロンに、久しぶりに明るい笑い声が響いていた。 暖炉の薪がぱちぱちと音を立てて爆ぜる音が、談笑の合間に聞こえ、雄山羊の装飾のついた金の薪台に炎が赤く映り込む。 母と5人の姉達の輪に、今日ばかりはオスカルも加わった。姉達は、彼女の誕生日を祝うために集まって来たのだから。 母と姉達に会ってみると、誰が誰だかすぐにわかった。現代の母と姉達のそれぞれに、やはりそっくりだったからである。 ジョゼフィーヌが、イギリスからわざわざ取り寄せたという紅茶を飲みながら、おしゃべりに花を咲かせる。女が7人も集まれば、会話は途切れる間もなく、夫の愚痴に始まり、子供達の成長ぶりやら、服や小物の流行に、外国で起こった事件の噂話まで、次から次へと話題は尽きない。もっともオスカルは終始聞き役に回っていたのだが。 姉達の話に相づちを打ちながら、カップを口に運ぶ。花と貴婦人が絵付けされ金の縁取りで飾られたカップには、オレンジ色の液体がゆらめき、マスカットのようなアロマが香って、口に含むと、繊細で上品な味が広がってリラックスする。 なごやかな雰囲気の中、オスカルは21世紀のジャルジェ家でのノエルのことを思い出していた。パイロットという職業につき、独立する以前の12月24日には、オスカルも家族で静かにノエルを過ごしたものだった。毎年嫁いでいった姉達が子供や夫を連れて訪問して来て、いっしょにレヴェイヨン(クリスマス・イヴの夕食)を囲んだ後に、深夜ミサにでかけた。 そして、今年は―…。 「お茶のおかわりはいかが?」 長姉のマリー・アンヌが、ボーンチャイナのポットから、ジャルジェ夫人のカップに紅茶をそそぎながらオスカルに尋ねた。この姉は現代でも一番気配り上手で、話し方が母親そっくりだ。 「いえ、もう結構です。すみませんが、持ちかえった仕事がありますので、少しの間、失礼いたします」 こんな日に仕事なんてしなくてもいいじゃないのと、姉達は口々に引き止めたが、末娘の忙しさを知っているジャルジェ夫人が静かな口調で助け舟を出すと、姉達も渋々オスカルの退席を承知した。 「それでは、また晩餐のときに」 そう言ってオスカルはジャルジェ夫人のサロンを辞した。陽だまりのような午後のひとときは、いつまでもそこにいたい気分にさせたが、ここは彼女の世界ではないのだ。本当の家族にもう一度会いたいし、何よりも、彼の元に帰りたい。 そのためには、どうすればいいのか。暗中模索だとしても、手がかりを探さなくてはならない。ただ一人で。 オスカルが自室に戻ると、アンドレに頼んでおいた鏡が既に運ばれて来ていた。鏡は壁に立てかけられており、まだ白い布で覆われている。 布地のさらりとした表面を指でなぞった。昨日からの出来事をもう一度整理してみる。 鏡を通して過去にやって来てしまったのは、おそらく間違いない。ならば、帰れるとすれば、この鏡を通ってに違いない。 オスカルは何かヒントになるものでもないかと、鏡にかけられている布を外してみようとした。そっと手を伸ばしてみたとき、背後に人の気配がした。 「もう、姉君達のお相手はいいのか?」 振り返らなくても、声の主は誰だかすぐにわかった。オスカルが腕を後ろ手に組んで戸口の方に向き直ると、アンドレが入口の壁によりかかるようにして立っていた。 彼の顔を見ると、何だかほっとする。これは自分の知っているアンドレではないとわかっていても。 「いつまでたっても終わりそうにないから、逃げ出してきた」 オスカルがおどけたように、そう答えると、アンドレはゆっくりと近づいてきて、彼女の前に立った。二人の距離はほんのあと一歩踏み出せば重なるほどに近い。アンドレはまっすぐに彼女を見つめた。彼に真剣に見つめられると、不思議な感覚にとらわれる。怖いようで、それでいていつまでも、こうして絡めとられていたいと思わせるような。彼の漆黒の瞳は、夜の属性をもつと思う。惹かれずにはいられない。 「おれに、何か隠していないか?」 「何を?」 オスカルは心を見透かされたような気がして驚いたが、表情には出さずに質問で切り返した。 アンドレは黙って、オスカルの目を見つめつづけている。オスカルの方が後ろめたくなって視線を外した。 「オスカル、こっちをみて」 しかしオスカルは顔を上げない。もう一度目を合わせると、口から言葉が溢れ出して、あらいざらい喋ってしまいそうな気がしたからだ。 “彼ならば、わたしが現代に戻るのを手助けしてくれるかもしれない。だが、自分でも信じられないようなこの状況を、彼にすんなり信じてもらえるだろうか。それに、わたしが現代から来たことを知られたら、もしかして歴史に影響が出てしまうかもしれない……” 逡巡しているうちに、アンドレはしびれを切らして、彼女の肩口を掴んだ。 「オスカル、おれにも言えないことなのか?」 “やはり、言えない!” オスカルは彼の手を振り払うと、部屋を飛び出した。 彼女は屋敷内を走り抜け、外に出た。フランス式の庭園が広がっている。広い敷地内は、ヴェルサイユ宮殿の庭を模したような造りになっていて、噴水やこんもりとした林、それに、今は春を待つ花たちが眠る花壇などが、よく計算されて配置してあった。オスカルは、その庭園の一角に東屋を見つけて駆け込んだ。柱の一本に、もたれかかると、乱れた息を整える。まだ太陽は中天にあったが、たれこめた雲に隠されて切れ切れに顔をのぞかせるだけだった。そんな曇り空の日は昼間でも肌寒い。上着を着ていなかったオスカルは、寒気を覚えて身震いした。 「だれ?」 先客がいたらしい。 「オスカルおねえちゃま?」 東屋にある木製のベンチにちょこんと腰かけていたのはル・ルーだった。足が地面につかなくて、途中でぶらぶらしている。 「こんな寒空に、こんな所で何をしているのだ?」 「お勉強よ。お部屋でするより、ここの方が集中できるの」 毛皮のコートを着込んでいる少女が身じろぎすると、まるで冬毛の小動物のようだった。 どれどれ、どんな勉強をしているのかなとオスカルがル・ルーの読んでいた本を取り上げると、それは機械技術についてイギリスで書かれた本をフランス語に訳したものだった。 「ラテン語やマナーの他に、淑女には、こんな知識も必要なのかな?」 オスカルがぱらぱらとページをめくると、ル・ルーは慌ててそれを取り返し、ママンには内緒ね、と人差し指を立てて口に当てた。 「それより、おねえちゃまの方こそ、コートも着ないで、どうしたの?こんな寒空に」 ル・ルーに切り替えされて、オスカルは口篭もった。 「あぁ…、ちょっとアンドレとな」 「まあ、ケンカでもしたの?」 丸い大きな目を一層大きくして、好奇心満々で少女が尋ねた。 「別に、そういうわけではないが」 「隠しても顔にかいてあってよ」 空を仰ぐオスカルの顔をまじまじと観察したル・ルーは、にんまりと笑って言う。 「おねえちゃまって、自分ではポーカー・フェイスだと思っているでしょうけど、わかる人には丸わかりなの」 どうもこの子と話しているとペースが乱れる。 「何か悩みごと?」 「子供には関係ない」 アンドレにも言えないことを、こんな子供に話しても仕方がないとオスカルは思った。ル・ルーは穴のあくほどオスカルの顔を見つめてから言った。 「おねえちゃま、なんだか今日は、いつもと感じが違うのよね……。なんだか別人みたい」 まるで、占い師が客の運命をずばりと当てるときのような言い方をされて、オスカルはぎくりとする。 「子供の私が気がつくくらいだから、アンドレならもうとっくに気がついているんじゃないかしら?」 ル.ルーはそう言うと、重たい本を両手で抱えて、ベンチからぴょこんと飛び降りた。 「それがたぶん、ケンカの原因ね」 「ど、どういう意味だ?」 オスカルの声が聞こえなかったのか、聞こえないふりをしていたのか、ル・ルーは、もう行かないとママンが探しに来ちゃう、そう言って屋敷の方へ駆け出して行ってしまった。 全く大人を食ったような不思議な子だと思いながら、オスカルは、その後ろ姿を見送った。落ち着きのない、ごく普通の女の子だと思っていたが、それだけではない。 ル・ルーが言うなら、その通りなのだろうか。荒唐無稽とも思われかねない話でも、アンドレは信じてくれるだろうか。 一歩踏み出したオスカルのブーツの下で、落ち葉が乾いた音を立てて砕けた。 (つづく) |
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初出:2008年12月 改訂:2010年01月 |