2人は、オスカルの休暇ごとに会うようになった。
比較的、時間の融通がきくアンドレが、オスカルのスケジュールに合わせてくれる。 パリに出てきて一年たたない上、執筆のために家にこもることが多いので、まだ、ろくろくパリ見物をしていないというアンドレのために、オスカルがパリのあちこちを案内した。 観光客よろしく凱旋門やエッフェル塔に昇ってみたり、白亜のサクレ・クール聖堂のそびえ立つ、モンマルトルの丘を2人で歩いて、かつてここを愛した芸術家達に思いをはせたり、美術館巡りや、パリ市内に点在する教会巡りなどもした。時にはアンドレの調べ物につきあって、国立図書館で半日過ごすこともあった。 今日はクリニャンクールの蚤の市に来ている。 パリ北部に位置するクリニャンクールは、パリにある蚤の市の中でも最大級の規模を誇り、狭い通りに3000軒ともいわれる店がひしめきあっている。 「アンティーク好きなの?」 路上にはみ出すように並んでいる品々を興味深そうに眺めながら、アンドレが尋ねる。 「あぁ。歴史を感じさせる古いものに囲まれていると何だか落ちつくのだ。実家にも代々伝わる家具や調度品などがたくさんあったからかな」 籐製のかごの中に無造作に放りこまれていた金色の水差しを手に取って、品定めしながらオスカルが答えた。 まがい物だったらしく、元のかごに戻すと、オスカルは一件の店に入って行った。アンドレがその後につづいて店内に入る。 そこはアンティーク・レースの店だった。テーブルクロスからカーテン、小さなものはハンカチまで、様々な大きさ・種類のレースで店内は埋め尽くされている。 オスカルが積まれていたハンカチの中から、中心の使用する部分が星型で、その周りに豪華なレースをふんだんにあしらったものを取り上げて、アンドレに見せた。 「知っているか?むかしのハンカチは今のように正方形ばかりではなかったんだぞ。アントワネット様が国王陛下に進言して、1785年に法令が出されてから主流になったんだ」 手に持ったハンカチをアンドレの顔の高さまで持ち上げて、レース越しに彼の顔を見る。 「そうなんだ。歴史にも詳しいね。それに、"アントワネット様"ってまるで友達みたいだ」 アンドレがおかしそうに笑うので、オスカルは言われて初めて気がついたと言い、それから口元に手をやって、考え込むように言った。 「そうだな……。ときどき歴史上の人物がひどく身近に感じられることがあって。確かに少しおかしな言い方かもしれない」 あまりに真剣に悩んでいる様子だったので、 「いや、それほどおかしいってわけじゃないけど。それだけ想像力が豊かで感受性が鋭いってことじゃないのかな」 アンドレが慌ててフォローする。 結局その日は何も買わずに蚤の市を後にした。まだ午後の早い時間で、夕食をとるには早すぎるし、かと言って今からどこかに出かけるには遅すぎる。2人はセーヌ河畔まで戻り、ぶらぶらと散策することにした。 パリといえばセーヌ川を連想するほど、両者は切っても切れない深い関わりがあるが、源流は遠くブルゴーニュ地方に遡り、パリを東西に走ってから、マントやルーアンを抜け、ル・アーブルのあるセーヌ湾へとそそぐ、フランスで2番目に長い河川でもある。 パリはセーヌに浮かぶシテ島より始まったとされるが、セーヌ河岸には他にも、サン・ルイ島、チュイルリー公園、コンコルド広場、エッフェル塔などの観光名所がずらりと並ぶ。 2人はノートルダム大聖堂の尖塔を左手に見ながら、セーヌ川右岸を下流の方に向かって歩いていった。さきほどの蚤の市の話や、オスカルが行って来たばかりのアムステルダムの話、アンドレの構想中の新作の話など、たあいのないことを、とりとめもなく話している。 "アンドレといる時間は楽しいし、何よりも心が落ちつく。だが……" とオスカルは思う。 会う度に距離が縮まり、互いに親愛の情が深まっていくのが感じられるのだが、それは長年の親友か兄弟のような関係で、男女のそれではない。 "「会いたい」という言葉を見た時、女性として意識されているのかと思ったが、思い過ごしだったのだろうか" 彼の横顔をじっと見つめる。 アンドレは自分を友人として好きなのかもしれない。いや、アンドレが優しくて、ついついわがままに振舞ってしまう自分とは、ある程度距離を置きたいと思っているのかもしれない。それとも、根本的に女性としての魅力が自分には足りないのだろうかなどと、このところ、らちもない堂々めぐりの理由探しばかりしている。 「会いたい」の真意を彼に確かめてみればすむことなのだが、オスカルには、どうしても自分から言い出すことができなかった。 それに……。 オスカルの視線に気がついて、アンドレが立ち止まり、彼女の顔を見つめ返した。お互いに目と目を見つめ合っていたが、オスカルの方が先に視線を逸らすと、 「ほら、アンドレ、あそこで焼き栗を売っているぞ。まだ夕食まで時間があるし、一袋買って分けよう!」 そう言って金髪をなびかせながら、焼き栗売りのワゴンの方に走って行ってしまった。 その後ろ姿を眺めながら、アンドレは伸ばしかけていた手を下ろして、深くため息をつき、、固くこぶしを握り締めた。 2人は、彼女が買って来た焼き栗を頬張りながら、ルーブル美術館まで辿りついた。 「そうだ、今度の休みは2人でルーブル美術館に行ってみないか?」 アンドレがそう提案すると、彼の持っていた栗の袋に手を伸ばそうとしていたオスカルの動きが止まり、表情が急に曇った。 「うん……そのうちな」 あまり乗り気でない様子のオスカルをアンドレはいぶかしんだが、そのまま歩き続ける。 やがてチュイルリー公園の手前まで来ると、オスカルの顔色が次第に悪くなり、歩く速度も遅くなってきた。心なしか俯き加減で、少し具合が悪そうだ。 「どうした?」 アンドレが心配そうに尋ねるが、 「大丈夫だ、何でもない」 と首を振るばかりで、わけを言わない。だが明らかに様子がおかしい。 「そうだ、チュイルリー公園の向こうに香水博物館があったっけ。一度、行ってみたかったんだ。小さな博物館だから周るのにそう時間はかからないし、公園を突っ切っていけばすぐだ。確か中にカフェがあったから、そこで温かい物でも飲もう」 寒い中を歩いて体が冷えたのだろうと察したアンドレの言葉だったが、公園の脇まで辿りつく間にも、オスカルの顔色は悪くなる一方で、とても博物館までもちそうには見えなかった。 心配したアンドレが、すぐ近くに休める場所がないか探そうとしたのだが、おまえが行きたいのなら、その香水博物館に行ってみようとオスカルが強く言い張るので、仕方なく公園を横切り、できるだけ近道をして行くことにした。 しかし、公園に一歩足を踏み入れると、彼女はとうとう蒼白になり、歩みすら止まって、自分で自分の体を抱きしめたまま、がたがたと震え始めたのだった。 「オスカル?大丈夫か?」 アンドレが声をかけたが、返事をすることもできない。 ついには目を大きく見開き、一点を見つめたまま硬直してしまったオスカルを見て、驚いたアンドレが彼女の肩を掴んだのとほぼ同時に、彼女は彼の腕の中にくず折れた。 (つづく) |
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