A Midsummer Night's Dream〜夢の国狂想曲D〜 


※R18ほどではありませんが、最後の方に多少性的描写がありますので、苦手な方はお気をつけ下さい。


オープニング・ショーが終わると、第一問目が一斉に各自のデバイスに配信された。幅広いジャンルにわたるクイズで、問題はランダムに配信される。一人20問、一問につき制限時間は20秒。ペア合計で40問中38問以上正解できなければ、始めからやり直しで、やり直せるのは3回まで。出題は、歴史や地理から芸能・ファッション関連など、多岐に亘る上、しかも、かなりの難問揃いで、インターネットで調べても解答が得られないものも多かった。例年、ここで4分の1ほどが脱落している。
もちろんオスカル・ジョゼフ組は難なくクリアし、次のステップに進んだ。全問正解の表示の後、チェックポイントのヒントが送信されて来る。
”ロンドンのケンジントン公園で乳母車から落ち、そのまま行方不明になった子”
「次は、ピーターパンだね」
園内は充分に下見してあったが、念のためにアプリ内のマップで位置を確認する。オスカルがアンドレに声をかけた。
「わたし達は次に進むが、そっちはどうだ?」
「おれ達は、”アリスの迷路”だ」
「ほう、もう解き終わったか。すごいじゃないか!そっちも全問正解か?」
「いや……。2問まちがえた……おれが」
アトラクションの”アリスの迷路”は、”ピーターパンの空の旅”とは反対方向で、ここで分かれることになる。時々、連絡を取り合うことを約束して、互いに次の目標に向かって走り出した。


オスカル達は昼間の下調べのおかげもあり、最短ルートで”ピーターパンの空の旅”に辿り着いた。付近まで来ると、位置情報を元に正しいチェックポイントに到達したと判定され、第二問目が送信されて来た。アトラクションの入口で、紅い造花を渡される。次はアトラクション内で、ヒントを元に、”眠っているタイターニアの瞼に浮気草の汁を塗りつける”という、宝探し的なクエストだった。
アトラクションに入る前に、オスカルは慎重に辺りを見回す。周囲には、監視役のキャストが2、3名いただけだった。
「どうしたの、オスカル?」
ジョゼフが怪訝そうに尋ねる。
「いえ、何でも……。さあ、さっさと妖精女王を見つけ出してしまいましょうか」
そうジョゼフには言いつつも、何か変わったことがないか、オスカルは周囲に気を配りつづけていた。
ジョゼフの警護を一身に担っている責任もあったが、先ほどのオープニング・ショーでル・ルーが耳打ちしてきた一言が、ずっと心にひっかかっていた。


オープニング・ショーは、バク転などのアクロバティックな要素も加えた迫力のある群舞で始まった。
”ねえ、豆の花、蜘蛛の巣、辛子の種、そして、夜の焔に魅かれてやまない鱗の羽をもつ者よ…”
シェークスピアの『夏の夜の夢』を題材にした歌とダンスが一通り繰り広げられる。
「今宵は何の集まりだ?」
オーベロンが大げさに観客に向かって手を振り上げてみせる。動きに合わせてマントが翻る。タイターニアが答えた。
「今宵は例の、年に一度のイベントの夜――」
オーベロンが手を叩いた。「パック、パック、パックはいずこに?」
すると、舞台の中央に向かって二本のロープを張って作った花道を駆け抜け、総身タイツの上に蔓や草の葉のモチーフを連ねたチュニックを身に着けたパックが登場し、手にした箒を使って妖精たちをステージ上から追いやった。妖精らしい顔つきを作るために特殊メイクを施していたが、体つきから女性であることが分かる。彼女は軽やかにステップを踏み、大きく跳躍すると、ジャンプの一番高い地点で手にした箒を高々と掲げた後、オーベロンとタイターニアの前に着地して跪いた。それからパックは、妖精王と王妃を先導して、ステージ前の階段を下り、花道を戻った。ミッキーのオーベロンとミニーのタイターニアは、周囲に明るく穏やかに手を振りながら歩いて行くが、パックはおどけた仕草で花道の側の参加者の顔を覗き込んだり、スマートフォンを奪い取ろうとしたりと、いたずらを仕掛けながら進んで行く。自撮りにも時には応じてサービス満点だ。手にしたスマートフォンで写真を撮ろうと大勢の人間が寄りかかり、ロープがたわむ。警備員がロープに寄りかからないように大声で注意しても、効き目はない。
ル・ルーもロープにのしかかるように寄りかかっており、「危ないぞ……!」と、オスカルが注意しようとした瞬間、バランスを崩し、コロリと一回転して花道へと転がり落ちた。
「ル・ルー!」
慌ててロープをくぐり、花道に出たオスカルよりも早く、ちょうど近くを通りがかっていたパックが駆けつけて助け起こし、女の子の服についた埃を払ってやる。幸いどこにも怪我はなさそうだった。
「すみません、この子がご迷惑を」
近づいて謝った際に、目が合った。不思議な感覚がオスカルを襲う。
――この瞳、どこかで出会ったことがなかったか。
そう思ったものの、はっきりとは思い出せない。このもやもやとはっきりしない感覚も、以前にあったような。
パックは口角を上げて微笑むと、再び何事もなかったかのように演技に戻り、花道を囲む参加者をからかい続けながら去って行った。
くいくいと腕を引かれたオスカルがル・ルーを見ると、何やら、かがんでくれと仕草で示している。
「オスカルおねえちゃま、あのね、パックのお胸の下のところ、チュニックの中に小さい拳銃みたいなものが見えたんだけど、あれは、おもちゃかしら」
”銃!?”
オスカルの目が見開かれる。
短剣くらいならば、パックには似つかわしいかもしれないが、銃とは。
シェークスピアが生きた時代のヨーロッパに存在していなかったわけではないが、いずれにしろ、そんな代物を隠し持っているなど、物騒以外の何物でもない。
”万が一の園内警備のためか、それとも他に理由があってか――”
オスカルがイベント続行を逡巡する中、手にしたスマートフォンが鳴り、振動した。それが第一問目送信の合図だった。
「来たよ!オスカル!」
心弾ませ、子供らしい顔つきで、彼女を見上げるジョゼフの顔を見てしまうと、単なる疑念だけで、イベントを断念することは出来なかった。どれだけ、この日を楽しみにして来たことか。もし、何か悪だくみがあったとしても、それがこの少年に向けられたことなのかどうかも分からない。答えは自ずと決まった。
「はい、参りましょう、殿下」
そう答えつつ、彼の安全には万全を期してこのイベントを終わらせなければと、オスカルはあらためて心に誓ったのだった。


瞼にセンサーの付いたタイターニアの人形を無事に見つけ出した後も、二人は次々に課題をこなして園内を駆け回った。インディー・ジョーンズの魔宮では暗号を解いて秘宝を探し当て、ノーチラス号では、スマートフォンのジャイロ機能やGPS機能を駆使し、海底を探検する潜水艇を操縦して、見事、目的地に到達してみせた。ファントム・マナーでは、屋敷に閉じ込められたメアリー・レイヴンスウッドの亡霊を追いかけて、ゴーストたちの巣窟となった豪邸を巡る。死神に見初められた花嫁は、今でも親に反対されて駆け落ちを約束した恋人を、毎夜毎夜、待ちつづけていると言う。
9問目まで解いたところで、オスカルがアプリで全体の状況をチェックする。個別の進み具合は分からなかったが、何組が何問目まで進んでいるか確認できるようになっていた。
「現在、9問目までクリアしたチームは、5…あ、6組になりました」
「急がないと!次は……えーと、”ディズニー映画のハイライトをお楽しみあれ”、”おとぎの国のカナルボート”だね!パークの反対側じゃないか!速く行こう、オスカル」
移動の途中で、オスカルは、走りながらアンドレに電話をかける。
「こちらは残り一問だが、そっちは?」
「こっちも9問目をクリアしたところだ!次のチェックポイントに向かっている」
予想以上のアンドレと姪っ子チームの快進撃に、オスカルが感心すると、「いや、ほどんどル・ルーが……。なぜか、おれの母親の名前を言い当てたり、なんかおかしな道具が人形から出てきたり……」
運河が見えてきた。水の匂いがする。乗り場まで、あと少しというところまで近づくと、最終チェックポイントに到着したと判定され、スマートフォンにクエストが届いた。
「では切るぞ……!健闘を祈る」
いよいよ優勝まで、あと一息だ。


電話を切ったアンドレは、”バズ・ライトイヤーのレーザーブラスト”を目指して足を速めた。しかし、ル・ルーの手を引いていては、それほど速く走るわけにもいかない。最初は優勝なんて望んではいなかったが、パートナーであるル・ルーの活躍によって、それが現実味を帯びていた。
”優勝カップルは、必ず結ばれるそうだ”
オスカルがあの晩言った言葉が、脳裏をよぎる。彼女は戯言だと一笑に付していたが、ジョゼフの真剣さを思えば、とても心中穏やかではいられなかった。もし、自分達が優勝すれば、ジョゼフの目論みは水泡に帰すことになる。しかし、こちらが優勝してしまえば、この縮れっ毛の女の子と結ばれることになるのだろうか。
――いいや、何があろうと自分が愛して結ばれたいと思うのは、永遠に、ただ一人。オスカル、ただ一人。それは神だろうと悪魔だろうと、妖精王だろうと阻めはしない。たとえ眠っているうちに、浮気草の汁を目に塗られたとしても、オスカル以外の女を愛することなんて、自分には絶対に、ありえない。
「アンドレ、ちょっと、手がいたい」
気を使っていたつもりだったが、知らず知らずのうちに足が速まって、少女の手を強く引っ張ってしまったようだ。
「あと、少しだから、いい子だから、ル・ルー・ド・ラ・ローランシ―……」
そう言うと、アンドレは少女の小さな体を抱き上げ、小脇に抱えて走り出した。あと一つクエストをクリアして、ゴールに一番乗りすれば――。女の子を抱えているにも関わらず、全速力で走る。アトラクションが見えて来た。
「最後は対戦ですってよ」
抱えられながら、ル・ルーは配信されて来たクエストの内容を読み上げる。
”バズ・ライトイヤーのレーザーブラスト”は、ゲスト参加型のシューティング・ゲームだ。レバーで向きを回転することができる自動運転のライドに乗りながら、随所に現れる標的を光線銃で撃つアトラクションで、的の種類は4種あり、それぞれ得点が異なる。通常は各自が高得点を目指して楽しむものだが、このイベントでは、3チームが一組になって得点を競い、二人の合計得点で一位になったチームが勝ち抜けできるルールになっていた。
「銃なんて正式にいじったことないし……、射撃は…あまり、得意じゃないんだけどなぁ……」
アンドレがぼそりと呟く。
「平気よ!ル・ルーに任せて。止まっている的なんて、姿勢と撃ち方さえしっかりしてれば、目を閉じてても撃てるくらいよ」
これまでも、彼女のおかげで順調に課題をクリアして来たことを思うと、その言葉を信じても大丈夫な気がする。
「よし、行くぞ!」アンドレは、小さな体を抱え直してアトラクションの入口に向かった。

建物の入り口に着いても、ライドの乗り場までは少し距離があった。途中でバズがミッションの説明をしていたが、今は立ち止まってゆっくり聞いている暇はない。黄緑にブルーや赤や黄色で、いかにもおもちゃっぽく塗装されたライドには、既に2組のカップルが乗っていた。
「あれは……」
入口付近で言い争いになった例の2組で、女二人がにらみ合っている。火花が散るのが本当に見えそうだ。いかにも金持ち然とした巻き髪の女が相手をけなす。
「絶対に優勝するって宣言していたくせに、まーだ6問目ですってぇ。でも、あんた達にしたら大健闘なんでしょうねぇ」
「何よ、そっちはまだ5問目じゃないのさ!」
皮肉を言われた女は言い返して、既に下りていた安全バーを跳ね上げて立ち上がろうとする。「やめなよ、シャンタル」と隣の彼氏に押し留められ、ぷいっとそっぽを向く。目の端に、係員の誘導でライドに着席したばかりのアンドレとル・ルーが映る。
「あんた達は何問目?」
「これで10問目よ、お姉ちゃま!」
ゲームに使うアストロブラスターをいじりながら、明るくル・ルーが答えると、「やるじゃん!」とシャンタルはヒュウっと短く口笛を吹いた。

すぐに係員の合図があり、スペースクルーザーが動き出した。ル・ルーはもうレーザーを発射している。命中した的には赤い点が浮かぶ。古いSFアニメの背景のような宇宙空間をクルーザーは進み、派手な色で塗られた少し懐かしさを覚えるロボットのおもちゃや、宇宙怪獣たちが次々と現れた。そこに貼られている的に銃からレーザーを照射する。ル・ルーは高得点のものを瞬時に判定して集中的に連射し命中させていった。
「アンドレ、右40度!」
「よし、きた!」
ル・ルーがアンドレに指示を出す。彼女はディズニーランド・パリに来たことがないと言っていたが、的が出る前に既にそちらの方向を向いており、まるで、出て来る的の位置を全て熟知しているかのようだった。
他のクルーザーからは喧々囂々とした言い合いが聞こえて来るが、何度かチャレンジしたことがあるのか、攻略法をしっかり研究して来ているのか、的の出現場所はだいたい把握しており、高得点を上げている気配だ。
真っ暗なトンネルを通る。バズ・ライトイヤーが何か言っているのが聞こえる。いよいよ、彼の宿敵であるザーグの登場だ。ここが最後の得点源。いわゆるラスボス戦というやつだ。
子供向け番組の悪役らしく目は光り、ときどき、口も点滅を繰り返す。今までより少し遠い的は狙いにくかったが、ル・ルーは着実に打ち抜き、なぜか一番低い得点の的を連射しつづけた。最後のこの決戦までには、アンドレもだいぶコツが掴めて来ていて、高得点の的に確実に狙いを定め、連射をつづけた。
やがて、ザーグがうめき声を上げ、いかにもヴィランらしい捨てゼリフを吐くと、アトラクションは終了となり、3組のライドは、ランキング・ボードが掲げられた部屋へと進んだ。急に明るくなって、目がすぐには慣れない。
ライドから下りると、すぐに係員から結果発表があった。
「三位は、イネス・ポール組、合計で、826,100点!」
濃いメイクの巻き髪がハイヒールで地面を蹴って舌打ちをする。
「第二位は、トマ・シャンタル組、1,026,000点、一位は1,575,700点で、ル・ルー・アンドレ組!」
「何よ、こんなチビがそんなに高得点なんてありえないわ!おかしいわよ、インチキよ!」
最下位に終わったイネスが、金切り声を上げる。
「負け惜しみはみっともないよ」
シャンタルが煽ると、腹立ちまぎれにイネスはル・ルーの抱いていた人形を取り上げた。
「何よ、こんな変な人形」
「だめ――ッ!!それ返して!!」
「安物の布をぬいあわせた変な人形!」
悪態をついて、人形をスペース・クルーザーの方に投げ捨てようとしたイネスの足をシャンタルが蹴飛ばし、人形を取り返した。よろけたイネスは地面に転倒する。
「早く行きな!もしかしたら優勝できるかもしれないよ、おチビちゃん!……あれ?前にもこんなことなかったっけ……?」」
「さぁ?どうだったかしら。とにかく、お姉ちゃま、ありがとう」
奪い返した人形をシャンタルから受け取ると、ル・ルーはアンドレの方に手を伸ばした。アンドレは礼もそこそこに、その手を掴むとアトラクションの出口に向かって走り出した。大声で泣きわめくイネスと、「来年こそは優勝するわよ!」とトマに発破をかけているシャンタルの声を背中で聞きつつ、優勝なんてしない方が、シャンタル達は長つづきするのじゃないかと、そんなことを思いながら。
ル・ルーがアプリで最終チェックポイントを確認する。「えーっと……つぎは、入場ゲート前ですって。そこがゴールよ」
現時点で、10問目までをクリアしたチームが自分達を含めて3組いた。おそらく、そのうちの一組は、オスカルとジョゼフだろうと思われた。


再びル・ルーを抱えたアンドレは、入場ゲート目指して走る。周囲にはまだゲームを楽しむ人々や、早々とあきらめて座り込んでいる人々がいた。少女を抱えて急ぐアンドレに、「がんばれよ!」と声がかかる。「あーい」と、アンドレの代わりにル・ルーが手を振った。
ゲームのスタートを告げたのと同じ声が園内に響いた。興奮気味の早口で、イベントのクライマックスを盛り上げる。
「まもなく、第一位のチームがゴールである、イベント・ステージ前に到着する模様です!現在、10問目までクリアしたのは3組!!さて、誰が初めに姿を見せるか、今年の優勝はどのチームの手に!?」
そのアナウンスを聞いて、アンドレの足が止まる。
「えっ!?確か、入場ゲート前って言ったよな?」
「あら、そうだったかしら?」
ここで言った言わないで争っている暇はなかった。アンドレはすぐに方向転換すると、オープニング・ショーの行われた特設ステージ前を目指した。メイン・ストリートUSAを半ば以上過ぎて、既に入口付近まで来てしまっていた。ステージは、眠れる森の美女の城前だから、かなり戻らなければならない。


一方のオスカル達も、ファンタジー・ランドの”おとぎの国のカナルボート”での最終クエストを終えて、オーロラ姫の城を目指して、こちらも全速力で走っていた。運の悪いことに、このエリアはパークの一番奥まった部分にあった。クエスト自体は運河の前半で終えてしまい、アプリの10問目クリアに名乗りを上げたのは最も早かったが、ボートが船着き場に到着するまでに時間的なロスがあり、最終チェックポイントへは、まだ辿り着くことができないでいたのだ。のんびりと景色を楽しむアトラクションだから、ボートはゆっくり暢気に水上を進む。ジョゼフは速く速くと船べりを手のひらで忙しなく叩いたが、ボートはそんな乗客の苛立ちなど意に介することは、もちろんない。ようやく船着き場に着くや、ジョゼフは船を飛び降り、オスカルもつづく。走りつづけているうちに、息が切れ、汗が出る。
ライトアップされて闇にそびえるオーロラ城がやっと目前に迫った頃、再びアナウンスがあった。
「優勝チームはパックがお迎えして、それから妖精王と王妃にお引き合わせします!さあ、急いで」
”パックが”
ショーの花道でル・ルーを助け起こした時のパックの姿が思い浮かぶ。縮れた茶色の鬘を被り、濃いメイクで素顔は分からなかった。目も、カラーコンタクトで色を変えていたようだったが、あの目つき。瞳の中に潜む、ある種の殺気のようなもの。あれは、絶対にどこかで見たことがあった。
「どうしたの、オスカル、大丈夫!?」
スピードの落ちた彼女をジョゼフが訝る。
そうだ、この少年と一緒に見たはず。
あの目。
二つの目だけが浮かんでいた画像に、眼鏡と顔の輪郭とパーツが与えられ、プラチナブロンドの髪がぴたりと嵌った。
”この間のメイド!”
あのメイドは、ソーニャと言ったか。背筋に電気が走る。駆けているせいでかいた汗とは違う汗が、全身から噴き出すような感覚を覚え、心臓も早鐘を打ち、ガンガンと頭痛までしてきた。
『小さい拳銃みたいなものが見えたんだけど……』
ジョゼフの関係者が、銃を隠し持ち変装してキャストの中に紛れ込んでいる。あの時は自分達との関連に確信が持てなかったが、そうなれば話は別だ。
もう一つの顔が浮かび、ソーニャとパックとその顔が、交互にフラッシュバックした。
『どこかで、会ったことがあった……かな?』
屋敷でそう尋ねた時には軽くかわされてしまい、その後は忘れていたが、あの時も、隠そうとしても隠しきれない眼差しの鋭さに既視感を覚えていた。ようやく、今、どこで会ったかひらめいた。
”ブイエ部長のオフィス!”
あの目に最初に会ったのは、ブイエ部長のオフィスだった。彼のお気に入りの秘書の女。スタイルのよさが分かるぴったりとしたスーツに身を包んだスラブ美人。なぜ、すぐに分からなかったのか。あの時は、確か、マリアと名乗っていた。
ジョゼフに急かされて、走り続けるが、優勝者をパックが迎えるという点が危惧された。ジョゼフの関係者で、しかも以前はブイエ内規部長の配下だった謎めいた女。ブイエ部長は反社長派閥のナンバー2だ。その女が変装しているのがパックで――。
頭の中をぐるぐると、3つの顔が回り、それにブイエの顔もオーバーラップする。心の中では警告が鳴り響くものの、ジョゼフに手を引かれるまま、城の横を走り抜け、正面に回り込むと、メイン・ストリートUSAから何かを抱えて走って来る男性の姿が見えた。かなりの長身だ。円形の広場になっているプリンセス・プロムナードまで差しかかると、それがアンドレとル・ルーだと分かった。二人の方が城に近い。熾烈な優勝争いを実況中継する声がスピーカーから響きわたる。
「二組の姿が見えて来ました!どちらも、あと残り数十メートルでしょうか、どちらが速いか!おっと――人形が!」
先行していたアンドレだが、ル・ルーが人形を落としたために後戻りする。それを拾い上げて慌てて振り返ると、少し前をオスカルが金髪を翻して走っているのが見えた。もう一度走り出して、何とか追いつく。
「アンドレ!」
ほぼ横に並んだところで、オスカルは彼の名を呼んだ。そして、ジョゼフの手を突然放したかと思うと、代わりにアンドレの腕を掴む。
「来い、アンドレ!ル・ルーはジョゼフと一緒にいろ!」
地面に降ろされたル・ルーにジョゼフを押し付けるようにして特設ステージに、その勢いのまま飛び込んだ。ステージ前には優勝チームを待ち受けていたパックがいて。
オスカルが飛びかかると同時に、アンドレも押さえつける。
事態が飲みこめず、実況中継が混乱を極めて、困惑した声で叫ぶ。
「は!?ええっ!?一位のチームが勢い余って!?違うペアの!?どうなっている?」
前代未聞の珍事に音声がプツリと切られ、まずはパックに飛びかかった二人がスタッフによって引きはがされた。倒されてもみ合った弾みでずれた鬘の下から、見事なプラチナブロンドがのぞき、追いついたジョゼフがため息をつく。
「違うんだ……オスカル。たぶん、思ってることと違うと思う……」
人形を両手で抱きかかえ、少し離れた場所に立っていたル・ルーがポツリと呟いた。
「あーあ、どんなに引っ掻き回してみても、ライサンダーはちゃんとハーミアの元に戻っちゃうのね……」


「本当に、申し訳ございません……。わたくしの勇み足で」
オスカルが深々とジョゼフに向かって頭を下げる。
イベントが終了した後、4人はジョゼフを送って来たリムジンの中にいた。そこには、ジョゼフの警備主任と、それから衣装は着たままだったが、鬘を外し、メイクも落としたソーニャも座っている。
最初にゴールに到達したオスカルとアンドレは、念のため優勝カップルとして認めるかどうかの協議が行われたが、10問目までクリア済みで要件は満たしていたものの、アプリ内のシリアルナンバーが一致せず、登録ペアではなかったということで、優勝は無効となってしまった。ジョゼフとル・ルーも失格となり、3番目にイベント特設ステージに辿り着いたチームが今年の優勝チームとして、妖精王と妖精女王、そしてたくさんの妖精たち、多くの参加者たちから祝福を受けた。
「せっかく一位になれそうだったところを……。彼女をブイエ部長の所で見かけたことも思い出してしまい、てっきりジョゼフに何か危害を加えようと企んでいるものと」
「あれはね、おば様の件で社内に妙な動きがあったから、お父さまからの命令で、ソーニャはブイエの動向を探っていたんだよ。頃合いを見て打ち切ったんだけど。うちに来る前のことになるけど、彼女は潜入捜査のプロだったから」
今回、昼間はキャスト、夜はパック役に変装して密かにジョゼフの警護に当たることは、彼の身を案じた父親である社長に相談されて、警備主任が考え出したことだった。
「まさか、見破られるとは。今まで、そんなことは一度もなかったので。アンダーカバーとして働いている時ですら、誰にもばれたことは無かったのに。仕草も雰囲気も完璧に別の人間になり切る、何年にも渡って、そういう訓練を受けて来ましたから」
ソーニャも意気消沈してしまっている。自分の変装と演技には100パーセントの自信があったのだろう。どうして分かったのかと、オスカルに尋ねると、「目の……目の鋭さ、ある種の殺気のようなものが同じだったから」と言われて、「目…ですか…修業がまだまだ足りません……」とうなだれた。
「もういいよ。お父さまもソーニャもオスカルも、みんなぼくのことを心配してくれてのことでしょう?」
そう言って、全て水に流そうと両手を振って見せる。外から、花火の音が聞こえて来た。順位の発表と賞品の授与も終わり、パークを閉める前の最後のショーが始まったようだった。
「さすがは、ジョゼフさま。それでは、せっかくですから、ショーを眺めてから戻りましょうか」
頷くジョゼフを先に通し、つづいて警備主任、オスカルとつづいて全員が車を降りた。
パーク手前の駐車場からも聞えるほどの大音響で音楽が流され、打ち上げられた花火が見えた。オーロラ姫の城には、レーザーが当たり、プロジェクションマッピングが投影されていることだろう。近くで見られないのが、少し残念だ。歓声が聞こえ、無数のランタンが空に放たれた。太陽に力を与えるという、たき火から火を分けてもらったオレンジ色のランタンは、膨張する空気の力で、ゆらゆらと天に立ち昇っていく。その間をぬって花火がいくつも上がり、ようやく暗くなった夜空に、音と光と炎の饗宴が繰り広げられた。歓声が時に高くなり、長く尾を引く。
「ソーニャ」
傍らに立ち、じっと夜空を見上げるソーニャにジョゼフが声をかける。
「なんでしょう?」
「いつもの制服も似合っているけど、その格好の方がかわいいね」
「お、おからかいにならないで下さい」
暗くてはっきりとは分からなかったが、ソーニャの白い顔に、わずかに朱が差したようだった。
ジョゼフは、その向こうに立つオスカルを見た。電灯に照らされて陰影の濃い彼女の顔は相変わらず美しかった。誰よりも美しい。黄金の髪も闇夜なのに不思議と浮かび上がって見える。その隣にぴったりと寄り添っている男を見て、ジョゼフは一人小さく息を吐いた。


「今日は、すまなかったな」
リムジンでまず、ル・ルーをジャルジェ邸まで送り届け、それからオスカルのアパルトマンの前まで送ってもらい、部屋に入ると、時計の針は、まもなく午前1時を指そうとしているところだった。ジョゼフもル・ルーもさすがに疲れて、帰りの高速道路で眠り込んでしまい、オスカルとアンドレが車を降りた時もジョゼフは目を覚まさなかった。
アンドレはそれに答えなかった。黙って部屋の照明をオフにすると、つかつかと歩み寄って彼女の肩口を掴み壁に押し付けた。街頭の明りがわずかに部屋に忍び込み、顔を近づけると、かろうじて互いの表情が読み取れた。彼はわずかに不安げに揺れている彼女の瞳を覗いてから、オスカルが抵抗する隙も与えずに、唇を押し当てた。
「なにっ……?アンドレ。まだシャワーも浴びてない」
性急すぎる男の求めをかわす理由を口にしてみるが、そんな言葉は無意味だった。
「今すぐおまえがほしい」
男はぴったりと体を寄せ、離すまいと力をこめる。目の前にある金色の髪に指を絡め、耳元で囁く。耳たぶをやわらかく噛んだ後で、唇が軽く彼女の首筋に触れた。
「おまえたちが一位でゴールインしたら……、どうしようかと思っていた」
「ばかだな。あんな根拠もないジンクスなん……んんっ」
笑い飛ばそうとしたのに、言い終わらないうちに、再び唇を塞がれてしまう。どうして、アンドレが愚にもつかないことに拘ってみせるのか、年端もいかない少年に嫉妬するのか、オスカルには不思議でならなかったが、パークでアンドレが昔話をしていた時に湧き上がった感情を思い出すと、彼女も彼の躰に腕をしっかりと回し、その黒髪に手を差し入れ、ゆっくりと彼の舌の動きに答え始めた。
「愛している」
「わたしも、愛している……アンドレ」




まだ、火照りの冷めない互いの肌を感じながら、オスカルとアンドレは、まどろんでいた。二人共、すでに半分、夢の世界に引き込まれている。朝から子供たちに付きあって一日中外で遊び、走り回り、クタクタだった。それでも互いの躰に腕を廻して、しっかりと抱き合ったままでいる。眠りの国と現の狭間で、互いの意識も体も溶け合うような感覚に陥るのが心地よかった。
アンドレはオスカルの白い背中を撫ぜ、金糸の髪を指ですいて、もう一度抱きしめて、腕の中に彼女が間違いなくいることを確かめた。彼女の甘い香りがする。子供たちのペースで引っ張り回されて、結局一緒に過ごせた時間はわずかだった。ル・ルーはアンドレといたがるし、ジョゼフはオスカルと二人っきりになりたがる。たまたま偶然、同じイベントのチケットが当たったばかりに……。
たまたま……?偶然?
ゴール後のゴタゴタでうやむやになってしまったが、――なぜ、ル・ルーは間違ったゴール地点を自分に教えたのだろう――肝心なところで人形を落としてしまったり――……。
「本当に……”たまたま”、だったのかな……?」
「ん?」
目を閉じたままオスカルが訊き返しても、アンドレから答えはなく、オスカルの額に触れそうな位置にある唇から洩れるのは、かすかな寝息だけだった。オスカルも、ふっくらとした大きな枕の上でわずかに頭の位置を直すと、眠りの淵に深く沈みこんでしまい、二人共、寝入りばなの会話のことは、朝にはすっかり忘れてしまった。


真夜中、いつもなら起きている時間ではなかったが、帰路の車の中で眠ってしまったためか、目が冴えてしまったジョゼフは、スタンドの明りをつけ、ベッドの中で、自分のスマートフォンを眺めていた。ホーム画面に並ぶアイコンの中に、昼間のイベントで使ったアプリのアイコンもある。もう用済みのそれをアンインストールしようかどうか迷っていると、チャットの着信があり、体を起こす。
『たぶん、起きているような気がして。もし違ったら、ごめんなさい』
チャット画面の相手の名前は、”ファントム”と表示されている。
『さすが勘がいいね。大丈夫、起きていたよ』
『よかった』につづき、連続でメッセージが送信されて来た。『昨日は残念だったわね』、『作戦どおり、いろいろ頑張ってみたんだけど』、『 万一、他のチームが先に到着しそうだったら、邪魔しようと思って頑張っちゃったのが仇になった感じ。悪かったわ』
『さっきも言ったけど、みんながぼくのことを心配してくれて、ああいう結果になったのだから』
ジョゼフがそう返信すると、しばらく間が開いた。まだ、あちらがオンラインかどうかを確かめようと新しいメッセージを送信しかけたところで、着信があった。
『ちょっと言いにくいのだけど』
『何?』
『正直、今日みたいなことをしても、あまり意味がないと思うの』、『だってただのジンクスじゃない?』、『それに、オスカルお姉ちゃまとアンドレって、実はお似合いだと思うし』、『失格になっちゃったけど、結果的に一位は、あの二人だし』
正論を畳みかけられて、ジョゼフは唇を噛む。
『君だって、家に来たアンドレがかっこいいと言っていたじゃないか、ル・ルー』
『確かに言ったけど』
続けて反論しようと、『ぼくだって、そのくらいのことは分かっているよ。でも、仕方ないじゃないか、20年以上のハンデがあって、向こうは大人で、ぼくはまだエコール・プリメールに通う年の子供なんだ。今のぼくにできるのはこれくらいなのだから……』と、そこまで打ったところで返信が届いた。
『でも、これからも協力するわ』、『だってわたしたち、お友達ですもの』
「友達……」
そのメッセージを読み、ジョゼフは打っていた文章を送信前に、急いで削除した。
『直接会ったのは今日が初めてだけど、わたしたち、友達じゃない?』、『ジョゼフ?』
『ああ、頼りにしているよ、メルシ』
「友達……か……」
再び、ル・ルーからのメッセージが届く。
『今度、パリにメンサ(※)の子を集めた学校ができるの』、『わたしね、そこに秋から通うことになったのよ。今回のパリ行きは、その下見も兼ねてだったの』、『あなたも来ない?』
一連のメッセージを読んだジョゼフの口元が、自然と緩んだ。
『いいね』、『君がいるのなら、おもしろそうだ』、『考えてみるよ』
寝室前の廊下で足音がした。『じゃあ、また』と送って、慌ててスタンドを消す。枕の下にしまい込んだスマートフォンから、くぐもった着信が一度だけ聞こえた。やわらかなベッドに体を委ねると、急速に眠気がおそって来て、ジョゼフはすぐに寝入ってしまった。

――いつ……いつ、お父さま、お母さまに……新しい学校のことを話してみようかな……。





私共の、飛んだり跳ねたり、走ったり、踊ったり。
今宵の芝居は、これにてお開きにございます。
もしも皆様、お気に召さぬとあらば、こう思召せ、ちょいと夏の夜のうたたねに、垣間みた一炊の夢、らちもない夢まぼろしにすぎないと。

目覚めれば霧のように消え去るお話でございます。
儚き現よりももっと儚く、とりとめもなき、夢にも等しいこの物語ゆえ。



それでは皆様、おやすみなさいませ。

――よい夢を。



(了)



※メンサ: Mensa は、人口上位2%の知能指数 (IQ) を有する者の交流を主たる目的とした非営利団体。会員数は全世界で約12万人といわれ、支部は世界各国にある。入会資格は、年齢などに制限はなく、ただ、人口上位2%の知能指数を有することのみである。


参考文献:『夏の夜の夢・あらし』(シェイクスピア作 福田 恒存訳 新潮文庫)




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